ウクライナを思う

今夜も普通に夕飯を食べて、食後には自分で焼いた甘納豆を入れたデザートパンを食べている。

でも、この小麦は、もしかしたらウクライナの穀倉地帯から来たものなのかもしれない。この豆だって、ウクライナの人々が作って輸出してくれたものかもしれない。

テレビをつけると、ジャーナリストが必死の覚悟で伝えている。爆撃のあった病院では、無事に女児を出産できた妊婦。一方で、幼い子供を救えなかったと、涙している医師たち。

何かおかしくないか?これは同じ人間の所業か?

でも、一歩間違えると、あのニュースの中で瓦礫の中に隠れているのは俺なのかもしれない。

毎朝の朝ドラを楽しみにしている。三代の100年に及ぶ物語。でも、特別な話ではない。誰もがみんな先祖からの命を繋いでここにいる。父親だって、そのまた父親にだって、いろいろなストーリーがあったはずだ。ウクライナの人々だって、誤って駆り出されているロシアの人々だって、みんないろんなストーリーがあるんだ。命を紡いでそこに立っているんだ。

どうか機関銃を捨てて、一握りのパンを分かち合おう。命を繋いでいこう。未来の子供たちに。

ウクライナに平和を!

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