仙台市の被災3校を巡る

研修の一環として、東日本大震災で被災した、仙台市にあった小学校3校を巡ってきました。

9年前、私は市教委「確かな学力育成室」に勤めておりました。震災直後、市教委をあげて市内180校の対応に追われました。何日か後、被災した学校の対応を専門にあたる部署が必要だと言うことになり、私は自ら手を挙げました。あの甚大な被害を前にして、「確かな〜」は余りにも場違いな名前だったし、虚無感も感じざるを得ませんでした。ただ、室の仲間からは、なんて仕事を引き受けてきたんだと、かなりのブーイングが来ましたけれど・・・(笑)

指導主事さんたちが二人一組でそれぞれの学校の対応に当たりました。学校再開に向けて、それこそ先が見えない日々が続きましたね。

中野小学校は蒲生干潟に近く、環境教育も盛んな学校でした。綺麗な校舎は既に取り壊されていて、その跡には写真のような慰霊碑がありました。

荒浜小学校の当時の校長先生は、昔同じ職場で机を並べていた仲間でした。疲労感溢れる形相で、職員皆と市教委へ来られたことは忘れられません。避難した家庭が様々な場所になったので、再開に向けてスクールバスを走らせることになりました。効率的な経路を考え、朝の時間帯に指導主事が実際にバスに乗って、時間経過を確かめたこともありました。

東六郷小学校に久しぶりに来ました。なかなか見つからず、迷いました。というのも、いつの間にか校舎が取り壊されていたのですね。ここの校舎も綺麗な校舎でしたね。震災直後、校長室に置いてあった重い耐火金庫を、近くの田んぼの中で発見しました。あの重い金庫を流した津波の力を、まざまざと実感させられました。校庭があった場所でしょうか。おそらく桜の木かなと思われますが、枯れてひっそりと佇んでいたのが印象的でした。

DSC01510_00001

お昼は隣の名取市閖上にある「かわまちテラス」へ行ってきました。閖上の慰霊塔にも手を合わせてきました。モニュメントのてっぺんまでの高さが8メートル余りで、津波の高さがここまで来たということでした。

震災から9年、かさ上げされた道路では、未だに大型ダンプが走っております。震災の日から一日後なので、どこの場所も訪れる人も少なく、ちょっと寂しさも感じてきました。当時、どこへ行っても臭いがすごく、空気も淀んでいる感じでした。今日は昨日の風も少し治まったようで、時折顔を見せる青空と、少し高い波が対象的でした。

いつまでも語り継がれていかなければならないのだと、改めて感じてきた一日でした。

1件のコメント

  1. 3月11,学校にきた21名に荒浜小(波の筋)の話しをしました。非常時に責務を果たされてきたとは!さすが師匠です。

コメントを残す